あと、「まともに翻訳する」について考えたとき、とある俳優も浮かんだ。
その人の名はラミ・マレック

フレディ・マーキュリーを演じるにあたって彼がやったことを思い出したわ。

単純にミミックじゃなくて、動作の奥に潜む考え方なんかを調べるってこと。
ボラプのクイーン役全員そうだよね。
ボラプを見て、「俳優の仕事とはこういうことか」と大変に感激させられた。

あとはラミちゃんも名前をあげていたけど、ホーキング博士のときのエディ・レッドメインなんかもそうだな。

「まともに翻訳する」ってことはどんなことかな、なんて、さっき自分なりに考えて見ようとしたら、とあるエッセイが浮かんできたぞ。

それは、我がスーパーヒーローかつスーパースターかつスーパーアイドルかつの柴田元幸さんの
「狭い我が家は楽しいか」。

文章をそのまま訳すっていうんじゃなくて、原文の向こうにある元々の概念を映さないといけないっていうことが書いてあったわ。
例えにあがってたのが、「私の青空」の「狭いながらも楽しい我が家」っていうところ。
元々はcozy roomなんだけど、そこに「ながらも」が入って、原文の単語の訳とはちょっと違うけど元々の幸せ感は出た、みたいな。

私のできる範囲の解釈はこういうことでした。

現代ビジネスの河野真太郎さんていう大学教授の文章、衝撃ー。
この30年で国立大学ってこんなに変わったの。
国立文系の先生、大変なのねー。
そりゃ授業料もあがるはずだわ。

私は会社員だけど、シジフォスの労働の辺りはわかりみMAXだなー。
管理ってことにコストがかかる世の中になったよね。
会社もそうだわ。
営業の人たち、営業回りたいのに机に向かわなきゃいけないっていう。
経理だからあれこれ言わなきゃいけない。
それが本当に辛いわ。
身に染みる話だ本当に。


一番興味ひかれて、もっと詳しく教えてほしいと思った箇所はこちら。
ダッシュの中の、
「まともに翻訳するとはどういうことかを理解している人間」
ていうところだわ。
ここ気になる。

自分なりに漠然と「こういうことかな」ってのは浮かんだ。
だけど河野先生の言葉でもうちょっと詳しく聞きたいわ。
そしたら人文系を志す人が増えるんじゃないかな。
そこまではないか。

あー気持ちのバランス感覚難しい。

やってても先のない仕事だけど、やらなきゃ食べていけないもんな。

それに私自身、努力も勇気も野心もなくて、ただぶつぶつ文句言いながら毎日過ごしてる本当ただの人。
だからこれがお似合い、最適なはずなんだけど、なんかつまらない。
要するにもう飽きたんだよな。

飽きるのって悪なのかな。
凡人なら飽きるのでは?

あーまただわ。
人のせい。
自分を正当化。
我慢が足りない。

えー、本当に?
辞めてみてもいいのでは?
少なくとも飽きは解消されるよ。
ちゃんと引き継げば迷惑もかけないし。

辞める勇気がない???

どこまでクズなんだ(*^^*)(*^^*)(*^^*)