同じ遺伝子を感じます。
父にとっての森田公一大先生。(青春時代)
私にとってのオザケン大先生。(愛し愛されて生きるのさ)

わたし、本当何も決められない。
何も始めてない。
夢から夢と、というか、ブレからブレって感じ。
気休めから気休めへと。
そんな感じ。
そうこうするうち時間切れ。
そういうタイプです。

まあ、私の父は私よりいくぶん決定というものを下してきてる。
それゆえに、ifもしも状態。
「あり得たであろう世界」の話を良くしてたよな。
「俺は弁護士になりたかったんだよ。うちのじじいが物分り良かったらな。継がなかったんだけどな。」って。
「まあ、お母さんと出会って、今こうやってお前たち兄弟を授かったことは幸せだったけどさ」って、ちゃんと付け加えてくれてたけどね。